骨やすめ

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博士の夢舞台

【博士の夢舞台】男役の背中

吉村典子

 前回、ヅカ歴40年と題する駄文を掲載していただいた。その後の反響は、ずばり、ゼロ!まったく反応なし!中島先生、このページ、ほとんど読まれていないみたいですよ(>_<)。

 しかし、私は考えた。誰も読んでいないからこそ、さらにディープな話が書けるのではないか、と。つまりここを私の私的な趣味の世界でうめつくすことも可能ではないか、と。博士の夢舞台乗っ取り計画の発動である。ということで、早速、第2弾を書き散らかすのである。

 さて、ヅカである。男役主体の世界であることは前回書かせていただいた。しかし男役というものは一朝一夕でできるものではない。ヅカには「男役10年」という言葉がある。男役になるためには少なくとも10年かかるという意味である。きれいでスタイルのいい子が髪を短くして男っぽい衣装を着て低い声で芝居をすればすぐに男役になれるわけではない。それはただのボーイッシュな女の子が演じている芝居である。ボーイッシュな女の子がきれいな娘役(当然女の子)とラブシーンなどを演じようものなら、それは女と女の世界であり、男と女の世界ではなくなってしまう。女と女の恋愛の世界も、まあ、ありだとは思うが、宝塚を見に来ている人は、理想の男ときれいな女(ここには自分が投影されている)のめくるめく愛の世界を期待して来ているのであるから、違和感ありありになってしまう。男役は男でなくてはならない。それも生々しい現実の男ではなく、すらっとした容姿の美しい男。正義感にあふれ、誠実な男。その生きる目的はただひとつ、愛する女を守ること。そんな非現実の世界にしかいない夢の男が宝塚の男役なのである。そんな夢の男が、今日明日宝塚に入ったばかりのむすめっこに演じられたらたまらないですよ。ということで、宝塚の男役には成熟が必要なのである。

 では何を持って男役が成熟したとするのか?その尺度はファンによってさまざまであるが、私は、男役の成熟は背中に現れると思っている。男役の背中を見極めるにはスーツものを見るのがいい。宝塚でのスーツものっていうジャンルをあえて定義するとすれば、主人公が主にスーツを着て出てくることが多い芝居っていう感じか。言葉通りの定義である。おおざっぱである。それはともかく、スーツものである。幕が上がる。暗い舞台、客席に背を向けてたつスーツを着た一人の男。腕にはトレンチコートを持ち、頭にはボルサリーノ帽。スポットライトがあたる。すっと伸びたスーツの背中。ゆっくりと肩越しに振り向くスター。きゃーーーーーー!!!、かっこいい!!!ファン(私)、大号泣!スーツものの醍醐味である。

 さて、そのスーツの後ろ姿の背中。かっこいい背中。ファンを熱狂させるまっすぐな背中。それは男役10年の涙がつくったものである。宝塚は男役に限らないが、競争競争で息つく暇もない世界である。前回書いたが私が応援していた香寿たつき(愛称タータン)などは、音楽学校を二番で卒業、歌劇団でも成績が良く、演技力、歌、ダンスを買われて、低学年の頃からいい役についてきた。当然早くトップになると思っていたが、中堅の頃から脇役系の役がつくことが多くなり、もうトップは無理かと思ったのである。いや、脇役だって、彼女はとてもいい味を出しているんですよ。やりようのない(と思われる)小さな役に、自分なりの解釈を付け加えて存在感のある役にしてしまう、そんなタータンもとても好きだった。しかし、彼女の活躍を宝塚をやめた後もずっとみていきたいと思ったら脇役のままでやめるのはとても不利である。宝塚をやめた後、芸能界で生きていけるのは、トップスターのみと断言してもいいくらいだからだ。だって紹介しやすいし。もと宝塚トップスターってのと、もと宝塚男役っていうのでは重みも違いますよね。なのでどうしてもトップになって欲しかった。脇役に嫌気がさしてやめたらどうしようと一人でやきもきしていたが、結局は、トップになれたのだった!初舞台から15年かかったけれど!

 トップお披露目の作品プラハの春はスーツものの芝居だった。衣装担当がゴルチェで斬新すぎる衣装だったが、主役のタータンの衣装は比較的普通だったので良しとした。芝居では男役の背中を堪能させていただいた。タータンのスーツ姿には、彼女が流したであろう涙や、苦しみや、葛藤が詰まっていたのである。15年目のトップにしか出せない成熟した男の立ち姿であった。

 若いときから美しい容姿で注目され、すぐに抜擢されて、なんの逆風も受けずにすくすくと育つトップスターもいる。それはそれでいい。屈託がなくて明るい芸風は見ていて楽しい。しかし、そういう屈託のないトップスターの背中は単色である。明るさのみである。葛藤に欠けているのである。苦労人だからこそ、背中に味が出る。背中で男の孤独を語れるようになる。それはファン(私)の過剰な思い入れによるものかもしれないが、毎回スターの後ろ姿に号泣しているファンには理屈はいらないのである。