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博士の音色

【博士の音色】バロック音楽の演奏法の変遷と私

東京女子医科大学 膠原病リウマチ痛風センタ- 膠原病リウマチ内科 小竹 茂

学生時代の私は、カール・リヒター (1926-1981)によるJ. S. バッハ (1685-1750) 演奏に魅せられていました。マタイ受難曲、数々の教会カンタータ、そしてブランデンブルグ協奏曲、管弦楽組曲、ヴァイオリン協奏曲、等々。カール・リヒターは教会音楽家であり、オルガンやチェンバロもこなす、まさにバッハのような総合的な演奏家であり、その緊迫感に満ちた峻厳な音楽が私は好きでした。リヒターはモダン楽器を使い、合唱もソプラノは少年ではなく女性歌手を起用していました。当時まだレコードの時代でしたが、足しげく、秋葉原の石丸電機のレコード売り場で「アルヒーフ」のレコードを購入していました。さらに当時の動画はVHSのビデオでしたが、リヒターのブランデンブルク協奏曲のビデオも入手し何度も繰り返しみていました。そのリヒターが急逝したのは1981年2月15日です。享年54歳でした。

もう一人のモダン楽器での、バッハ鍵盤音楽の演奏家がグレン・グールド(1932-1982)です。ピアニストとして、グールドはまさに時代の寵児でした。しかし独特の演奏法、演奏時の独特の声、演奏会を拒否など、異端でもあり、音楽愛好家のなかでも好き嫌いがはっきりわかれると思います。私はグールドのバッハ演奏に魅せられ、やはり当時レコードで、ゴールドベルグ変奏曲、平均率クラビーア曲集、イギリス組曲、フランス組曲、パルティータ、イタリア協奏曲等、グールドのバッハの鍵盤曲を次々と購入していました。また、カナダの放送局制作のビデオまで購入していました。ただ、バッハの鍵盤曲の中でも、パイプオルガンは、フランスのマリー=クレール・アラン(1926-2013)の全曲集を購入して聴いていました。このグールドもリヒターの他界した翌年の1982年10月4日に急逝してしまいました。享年50歳でした。

リヒターとグールドというモダン楽器を駆使したバッハ演奏の2大巨星が相次いで若くして急逝してしまいました。私は当時、大変衝撃を受けました。[余談ですが、トーマス・クーン(1922-1996)とカール・ポパー(1902-1994)という科学哲学の2人の重鎮が相次いで他界した時も同じような衝撃を受けました。] そしてリヒターとグールドの亡き後は、丁度その潮流がすでに1960年代からあったわけですが、いわゆる、当時の楽器を使い当時の演奏法で演奏する『ピリオド楽器演奏』が、1980年代には爆発的なブームとなっていきました。(なお、ピリオド楽器は、「オリジナル楽器」あるいは「古楽器」とよばれていました。)その2大演奏家はニコラウス・アーノンクール(1929- )とグスタフ・レオンハルト(1928-2012)です。さらに、この2人に続く代表的な演奏家は、フランス・ブリュッヘン、クイケン3兄弟、トン・コープマン、クリストファー・ホグウッド、ジョン・エリオット・ガーディナー、トレバー・ピノック、アンナー・ビルスマ等々です。アーノンクールは奥様のヴァイオリン演奏でバッハのヴァイオリン協奏曲なども録音していましたが、まさかその後ヨーロッパ音楽界の重鎮になろうとは予想だにしませんでした。レオンハルトは当時既にチェンバロ演奏の重鎮で、バッハの伝記映画でバッハ役を扮するくらいの存在であり、まさに『バッハの化身』でした。ちなみにバッハはかなりの技量のヴァイオリン奏者だったようですが、レオンハルトも初期のレコード録音ではヴァイオリンで参加している程です。

ピリオド楽器の中には、オーボエ・ダモーレ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、フラウト・トラベルソなど、現在は通常使用されていない楽器がありますが、音色も味わい深く大変興味深かったですし、アーノンクールやコープマンらの激しく機敏なピリオド楽器演奏は面白くきくことができました。また、ある日、江戸川橋のトッパン・ホールにクイケン3兄弟の弦楽5重奏をききにいきましたが、まさに『枯淡』の境地で、ピリオド楽器演奏の懐の深さに感じいりました。ただ、ピリオド演奏における合唱では、少年がソプラノのソロを担当していますが、この点を私は、多少物足りなく感じていました。一アマチュア音楽演奏家、特にバロック音楽およびバッハ愛好家の私が感じていた1980年代から1990年代の頃の当時の状況は上述のとおりです。

その後、このピリオド楽器演奏への反動のように、ベルリン・フィルの演奏家がアンサンブルによるバロック音楽を演奏し始めました。そのコンサートが、2001年に日本で催され、私も所沢(航空公園駅)まで聴きにいき、衝撃を受けたことを今でもまざまざと覚えています。ベルリン・フィル奏者の高度な技術で次々と奏でられるバロックの室内楽の名曲の数々。まさに圧巻でした。リコーダーのソリストもミカラ・ペトリという超一流奏者でした。解説つきのコンサートで解説者はバッハ研究の泰斗である磯山雅先生でした。このように、ピリオド楽器演奏の大きな潮流に対して現代楽器奏者も影響を受けており、実際、ヴィブラートの奏法や使用する楽器・弓・弦などで、折衷的な奏法のオーケストラや個人演奏家が存在するというのが現在の状況です。

最後にバッハ演奏の名盤は何か?ときかれたら私は迷うことなくヘンリク・シェリング(1918-1988)によるJ・S・バッハ:ヴァイオリン協奏曲(全3曲)をあげます。私の最も好きなバッハの名曲のひとつであり、その最高の演奏です。なお、シェリングは、ポーランド人でメキシコに帰化したヴァイオリニストであり、主な使用楽器は1743年製グァルネリです。

ヘンリク・シェリング「バッハ/ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調」
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私には、吉田秀和の「日比谷公会堂で小石を握っていた」というような音楽に関する名文は書けません。しかし、私の好きなバッハの演奏の大きな流れの変化を学生時代から実感し、医師になって診療と研究に従事しながら、コンサートなどにも時間があれば行き、暇を見つけてはヴァイオリンを練習し、ヴァイオリン教室の発表会にも毎年参加して、あるいは市民オーケストラの一員となり、それなりにバロック音楽・古典音楽を楽しんできた中で、自分が実感したことを中心に書いてみました。

2015年6月27日 新宿の医局にて